TANNOY SRM15 (その10)
- 2021/04/22
- 14:01
人間というのは歳を取るに連れ,頑固で物事に固執するようになることがある。所謂ガンコジジィというのがそれだ。一方で,ボケている訳ではないが,物事の拘りに疎くなる人も居るようだ。自分は後者のようで,歳とともに身の周りの物事に対して細かいことを求めなくなった。
事,オーディオに関して言えば,そうなった理由のひとつは,オーディオの泥沼の中で,或日のこと,より洗練された音場を作るには,十分な広さと,音響的構造を持つ部屋が必要だと実感したことだ。20畳~30畳規模の専用のリスニングルームを持つ家を建てるには,田舎であっても1千万円では利かないだろう。そういうことが出来る人でないと,鰯の頭を奉ることなど出来ない訳で,結局はそこそこのところで落ち着く訳だ。
もうひとつの原因は,耳の劣化の問題だ。
人間は40歳も過ぎると,耳の劣化が始まる。特に高域が聞こえなくなる。猫避けのモスキート音がその例だ。私などはそれに加えて,1日中耳鳴りに悩まされるようになった。
高齢のオーディオファンが,「俺はシステムに,数十年という膨大な時間と数千万という金を掛けてチューニングして来た。これほど素晴らしい音が出るオーディオはそうそうない」と,自慢する気持ちは良く分かる。が,それは,その老いた彼の耳に合うと言うだけで,他の人には別の音が聞こえているということを,その老人が全く理解出来ていないのが悲しい。
色の見え方が人によって違うように,音の聞こえ方も人によって異なり,特に加齢によってそのバラツキは加速する。だから,あなたが手塩にかけて構築したオーディオシステムから出るあなたが言う良い音とは,あなたの嗜好とあなたの耳の特性に合った音であり,あなたに取っては正しい評価であるのは間違いないだろう。しかし,他人には通用しないかも知れないのだということを自覚していないと,他人から見れば,ただのガンコジジィに成り果ててしまうのである。
人間の価値観などというものは,所詮,そのようなものなのである。
人の耳を介するまでの音響の物理データは絶対であっても,人の耳を以て誕生し,完結するオーディオの世界では,残念ながら絶対という基準は存在しない。
オーディオの沼にハマっている人は,これらのことに触れようとはしない。気づいていないだけなのか,気づかぬふりをしているのかは知らないが。それでも趣味とは自己満足の世界。騙して金を搾取するような行為がなければそれで良い。
鰯の頭も信心から,に尽きるのである。
事,オーディオに関して言えば,そうなった理由のひとつは,オーディオの泥沼の中で,或日のこと,より洗練された音場を作るには,十分な広さと,音響的構造を持つ部屋が必要だと実感したことだ。20畳~30畳規模の専用のリスニングルームを持つ家を建てるには,田舎であっても1千万円では利かないだろう。そういうことが出来る人でないと,鰯の頭を奉ることなど出来ない訳で,結局はそこそこのところで落ち着く訳だ。
もうひとつの原因は,耳の劣化の問題だ。
人間は40歳も過ぎると,耳の劣化が始まる。特に高域が聞こえなくなる。猫避けのモスキート音がその例だ。私などはそれに加えて,1日中耳鳴りに悩まされるようになった。
高齢のオーディオファンが,「俺はシステムに,数十年という膨大な時間と数千万という金を掛けてチューニングして来た。これほど素晴らしい音が出るオーディオはそうそうない」と,自慢する気持ちは良く分かる。が,それは,その老いた彼の耳に合うと言うだけで,他の人には別の音が聞こえているということを,その老人が全く理解出来ていないのが悲しい。
色の見え方が人によって違うように,音の聞こえ方も人によって異なり,特に加齢によってそのバラツキは加速する。だから,あなたが手塩にかけて構築したオーディオシステムから出るあなたが言う良い音とは,あなたの嗜好とあなたの耳の特性に合った音であり,あなたに取っては正しい評価であるのは間違いないだろう。しかし,他人には通用しないかも知れないのだということを自覚していないと,他人から見れば,ただのガンコジジィに成り果ててしまうのである。
人間の価値観などというものは,所詮,そのようなものなのである。
人の耳を介するまでの音響の物理データは絶対であっても,人の耳を以て誕生し,完結するオーディオの世界では,残念ながら絶対という基準は存在しない。
オーディオの沼にハマっている人は,これらのことに触れようとはしない。気づいていないだけなのか,気づかぬふりをしているのかは知らないが。それでも趣味とは自己満足の世界。騙して金を搾取するような行為がなければそれで良い。
鰯の頭も信心から,に尽きるのである。